しかしながら人を笑わすことだけを常に考えてきた塙さんの笑いへの緻密な分析と研究から、近年では関東のしゃべくり漫才の代名詞的コンビにもなっていて、2018年・2019年とそのM-1で審査員を務めた事が非常に話題になりました。
人を笑わせることだけを考えてきた
「汚い話になりますが…」とはナイツが漫才の冒頭で自己紹介をするときの定番。まず「私がナイツの塙です、よろしくお願いします」と拍手をもらったあとで「汚い話になりますが…」と置いて「土屋です」と相方の土屋さんを指して紹介します。「どういうことだよ」とやんわりツッコむ土屋さんとの和やかな雰囲気で会場の初笑いを誘います。
その「汚い話」として塙さんは子供時代、幼稚園で小便器に”大きい方”をしてしまった経験を語ります。胃腸が弱かったためよくパンツを汚してしまうことから劣等感を覚え、幼稚園や学校のクラスメイトからバカにもされることであまり人と話さない暗い性格だったと言います。
そんな苦い記憶を持つ”大きい方”がドリフターズの伝説的バラエティなど当時のテレビでは視聴者を爆笑に誘う笑いのネタとして使われ、そこに活路を見出します。
以降、「ウンコネタ」を武器にした塙さんは千葉の学校、そして転校先の佐賀でも人気者となりダウンタウンに憧れてお笑い芸人を目指す事となります。
本書のインタビュー記事を読んで「意外と考えてるんだな」と言われたらしいのですが、「人を笑わせること、それしか考えてこなかった」、これが塙さんです。
M-1漫才師の分析
本書の特徴として過去のM-1グランプリに出場したお笑い芸人の緻密な分析が挙げられます。
中川家、キングコング、ますだおかだ、アンタッチャブル、サンドウィッチマン、霜降り明星と言った好成績を残したコンビはもちろん、惜しくも悔し涙を飲んだコンビについても妥協なく分析していきます。それが非常に痛快。
優勝できなかったコンビの何がいけなかったのか語られるのが痛快なのではなく、それらのネタや言動を事細かに解説し、またそれが塙さんが研究してきたお笑い理論に当てはめる事で一般人である我々にとっても納得できる内容になっているのが痛快なのです。
そのことで言えば審査員についても触れています。
発起人である島田紳助さん、塙さんが芸人を目指すきっかけとなった松本人志さん、SNSでは審査内容が物議を醸す上沼恵美子さんなどプロはこういう風に考えているのかという思考の読み解きが実に的を射ていて面白いのです。
さて、ではなぜ「関東芸人はM-1で勝てない」のでしょうか。
関西弁の威力
M-1で優勝できる大きな土台として圧倒的存在感を放つ要素は関西弁です。
そもそもM-1は吉本興業がスポンサーとなり運営している賞レースで、その吉本の本社は大阪にあります。
大阪の漫才というのは昔から「上方」と言われ、言わばしゃべくり漫才です。
世間一般の漫才にはこのしゃべくり漫才とコント漫才の二種類が存在し、その内コント漫才はアンタッチャブルやサンドウィッチマンが得意とするような漫才の中で役柄を決めコントに入っていく人気のスタイル。
一方でしゃべくり漫才は、日常会話の延長。これを理想と提唱するのは中川家の礼二さんですがその中川家が優勝した事でM-1がしゃべくり漫才日本一決定戦という流れになった一因と思われます。
また未だコント漫才は漫才ではないという風潮も少なからずあり、芸が生まれた本場で育った関西人と関西弁というのは、生まれながらにして絶対的なアドバンテージを得ていると言っても過言ではないのです。
余談ですが、昔爆笑オンエアバトルというNHKの深夜ネタ番組があり、そこでトップ通過をした中川家が9分に及ぶ漫才を行った事で、以後番組内でのネタ時間が5分に制限されました。番組のルールすら左右する存在、それが中川家です。
関西以外の芸人が勝つには
「言い訳」というタイトルからは、これだけ緻密に分析をして理論を確立しておきながら、ご自身は準優勝以上の結果を残せなかったという思いが現れています。
しかし、負けたからこそわかる勝つための方程式が本書の見所であり、勝ったものにはわからないお笑いへの執着心が語られます。
生まれながらにして劣勢に立たされる関東を始め関西以外の芸人たち。勝負できる要素はずばりキャラクターです。
スリムクラブやU字工事、カミナリなど関西弁以外での方言というのもその一つで標準語と違いニュアンスが柔らかくなる上、漫才にリズムが生まれます。
スリムクラブと同じ無気力漫才のスタイルがありながら評価が厳しかったおぎやはぎは標準語による弊害があったと分析されています。また無気力漫才はゆっくり喋ることが持ち味のため4分のステージに情報を詰め込めないということが指摘されています。
またオードリーや南海キャンディーズのように強烈なキャラクターを使い縦横無尽やり尽くすタイプも関東勢の武器。これは逆に準決勝と決勝でネタがかぶりがちなため、肝心な決勝の場では二番煎じになり兼ねない諸刃の剣です。ですがテレビとしては非常に個性が強く売り込みやすい側面もありますので、この二組は2位に終わりながらその後もテレビで見ない日はありません。
この辺の弱点や項目を全てクリアし、かつ関東芸人でオリジナリティに溢れる漫才師は日本を探せどアンタッチャブルだけという結論です。
先日、ナイツのラジオにツッコミの柴田さんがゲストで出演していましたが、柴田さんのべらんめぇ口調は標準寄りでありながら関西弁に近い破壊力を持っていることに対し、柴田さんから「あれは出身である静岡の訛り」という事実が発覚しました。それが江戸っ子っぽく聞こえるとのことです。
漫才以外にも言える事
そしてこれらの分析は何も漫才だけに言える事ではありません。
今や、多くの人がSNSをやるのと同じような感覚でYouTubeなどを使い動画配信を行なっています。
ここで、思うのはやはり関西出身の人は隠してても喋りがうまいということ。むしろ喋りのうまさや物事の発想から関西出身を隠せていないとすら思います。
僕は以前、「東京出身であるというのは才能」というテーマで生まれてから30年東京で暮らしてきた自身の視点を持って展開したのですが、その定義もかなり覆りつつあります。
東京出身は死ぬ事が少ない、けれど生きるなら地方出身であれ。
【1000PV】30年ほぼ実家暮らしが語る。「実家が東京は才能」は本当か。
最後に
そうしてひたすら漫才のことを語った本書ですが、詰まる所、これはM-1という賞レースの癖や色味の分析でもあります。
「こういうネタはM-1では受け入れられにくい」「これはこうしておかなくてはいけない暗黙のルールがある」等々。
漫才がある程度自由な芸風を勝ち得た日本のエンターテイメントである一方、賞レースで王道とされるスタイルにはまだまだ決まりがあります。
ですが自分のスタイルに合わせて壁の高さが変動するなんて漫才に限らず挑戦する全ての人が嫌うことですし、そこを踏襲した上で新たに切り込めたコンビこそ優勝に近づける資格があるのだと読んでいて感じました。
人がどう考えているのか思考を読み解いたり、物事を理論立てて組み立てることが好きな人はもちろん、現在YouTubeで動画配信を行なっている人全員にとって考えが深まる一冊でした。
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