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音楽の成績1からプロミュージシャンへ。目指したきっかけは勘違いだった。

おはようございます、ギタリストの関口です。

街はクリスマス気分ですが、僕の住む下町ではそんなにクリスマスも感じ取れないです。毎年美味しいイチゴケーキを予約してるのでそれだけがとにかく楽しみ!

クリスマスが終われば今年もいよいよカウントダウン、「今年は何か残せたか」「来年は何か残せるか」と毎度のことのように振り返っています。そもそもなんで僕がプロのミュージシャンを目指そうと思ったのか、今日はその話をしたいと思います。



音楽の成績が1だった


まず、中学1年生まで遡りますが音楽の成績が1でした。正直みんなの前で歌ったり演奏をするなんて自分を丸裸にされてるみたいで恥ずかしくて、音楽記号もちんぷんかんぷん。第一記号の隣のカッコに一生懸命暗記したそれの名前を書き込んでなんの役に立つんだおいって思ってました。今もそういうペーパーテストには疑問視してます。当然学習としての音楽は嫌いでした。

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ポピュラーミュージックを知りバンドを知る


小学生のころからアニメ「デジモンシリーズ」が好きだった僕にとって音楽はデジモンをいつでも身近に感じられる存在としてのものでした。それが中学生のころ友人の勧めで初めてJ-POPというものに触れたのです。自分でもかなり遅いと思います。

初めは流行のアイドルから。それでも今までにない、かわいい女の子が歌う多彩な楽曲がそれは新鮮で新鮮で。ライブに行くでも缶バッチを付けるでもないただ好んで聴いていただけでしたが三人いる姉たちには可愛かった弟が方向性を間違えたと心配されました。

そんな僕に衝撃が走ります。思えばこれまでほとんど意識して音楽を聴いてこなかったのでまさに乾いたスポンジだったのですが、バンドという存在を知ります。はっきり言って「バンド」という言葉ですらゴムでできた輪っかの留め具しか知りませんでした。

自分で曲を作ってる!


アニソンもアイドルの曲も、作曲家と呼ばれる顔の見えない誰かが作ったものを歌っていてそれが当たり前なのだと思っていました。ところがこの「バンド」という存在、4、5人しかいないメンバーの誰かもしくは全員で曲を作って詞を書いて自分たちで演奏して歌ってるときた。なんだよそれ、すごすぎるでしょって中学2年になる関口少年は感嘆するのです。同時に自分にもできるんじゃないかと音楽2の中学生は勘違いを始めます。

まずは作詞から


と言っても今まで作曲どころか音楽の専門知識がない自分にとって至難の業でした。誰に相談できるでもなくとりあえず始められたのは歌詞の部分。このくらいの年代の子は好きなアーティストの歌詞を携帯に書き込んで持っていたり秘密のノートみたいのに所謂ポエムを書き綴ったり、できればもう触れて欲しくない歴史が満載だと思うのですが僕はオリジナルの歌詞を書いていたのです。

ですが歌詞だってそう簡単なものではありませんので好きな曲からメロディを拝借したりして。言ってしまえば「替え歌」でした。後にGLAYのTAKUROさんも著書で同じことをしてたと知って勇気をもらいました。

時たま歌詞を書いてると知った同級生から小馬鹿にされ茶化されたこともありましたが、2018年現在、曲を作って詞を書いてお金を頂いているんですから何を言われる筋合いもございません


Journey without a map / TAKURO

ギターを始める


高校に入りギターを始めます。自分の書いてきた詞に曲をつけたい、そんな想いでした。ですがロックバンドにも憧れてた僕はいきなりエレキギターを買ってみせて両親を驚かせました。

「お前が欲しいギターってエレキギターだったのか」

しかし両親は難しいから止めろとかどうせ続かないという無根拠の静止をすることもなくそれから間も無く部活で使うことになるアコースティックギターも買うことを許してもらえました。

僕を最高に勘違いさせてくれた音楽教師に出会う


高校3年にもなれば音楽は僕にとって得意ジャンル。聴いていたのはヘヴィメタルで、もともとエレキ人口の少なかった学校内でもテクニカルなギターを弾くとしてちょっとした有名人でした。

そんな中で最後の1年で音楽の新任になった肥後先生がいました。肥後先生は音楽教師らしくまさにクラシック畑の人でしたが当時イングヴェイなどネオクラシカルから少しクラシックに興味もあった僕は(この辺も勘違い笑)積極的に先生とお話をするように。

「なかなか面白いじゃない」

先生はいつもそう仰ってくれて、限られた人数しかいないクラスで授業の最後は僕が前に出てギターで何か弾くというのが通例になっていました。当然この頃には音楽の成績は5になっていましたがもうそんなことはどうでもよくて、ただ自分が認められたという感覚が嬉しかったのです。

そうしてプロになりたいという気持ちが芽生え進路相談でもはっきり言いました。「家はお金持ち?」と冷静沈着な担任に諭されそうにもなりましたが最後には「専門より四年制の大学でたっぷり時間を使うのも手」ということで僕も納得しました。

恵まれていたこと


今日まで、僕がもっとも恵まれていると思ったのはプロミュージシャンとしてやりたいと気持ちを否定する人がいなかったことです。家族、同級生、山口お師匠、妻…どの人もやめとけなどとは僕に一言も言わなかったし、言われなかったからこそ僕は勘違いをしたまま今日まで来てしまいました

もちろんミュージシャンだけで食べていくのは今は厳しい時代で、こと僕においては性格も込みで実家の仕事との両立を考えながら日々生きてます。だから音楽に対して「趣味ね」と言われると少しカチンと来てしまうのですが「今に見てろよ、俺の勘違いは筋金入りだぞ」と虎視眈々と相手の手のひら返しを狙っていたりするのです。

地元密着型米屋ギタリストの素朴なミュージシャン生活。来年もどうぞ勘違いさせたままよろしくお願いいたします。

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関口竜太

東京都出身。 ​14歳でギターを始め、高校卒業と同時にプロギタリスト山口和也氏に師事。ロックやメタルに加え、ブルース、ファンク、ジャズなど幅広い演奏や音楽理論を学ぶ。 プログレッシブロック/メタルの大ファン。自身が企画するプログレッシブ・ロックプロジェクト「Mind Over Matter」を展開中。

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