愛猫の死から1ヶ月。今思うこと。

おはようございます、関口です。

先月9年に渡って我が家で暮らしていた猫のコアが亡くなりまして、FacebookやTwitterではお伝えしてるのですがこのブログではまだでしたね。昨日がちょうど1ヶ月でした。

お店を営んでいる理由から、やんちゃで一晩外で遊び呆けるなどしょっちゅうでしたしあるときは3週間行方不明になり近所の目撃談がことごとく外れる中一人で身体中真っ黒にしてふらっと帰ってきたこともありました。亡くなって1ヶ月経ってしまったのでこれからはもう“いない期間”を更新していくだけなのはやっぱり寂しいですね。

Twitterで大人気に


この猫、2017年の1月に「ヒーターに当たる猫」としてTwitterでバズを起こしだいぶ話題になりました。おかげで「関口竜太」で検索をすると検索予測に「ギター」ではなく「猫」と出る始末です。それがこちら。

非常に人懐っこく店に来たお客さんや子どもたちに触られても全く動じない安定感、商品の陳列台やレジ付近のカウンターで寝てる様などから文字通り看板猫として大義を果たしてくれました。1ヶ月経ってもまだ「猫ちゃんいる?」と店に来る方もいて、聞かれたら答えるようにはしてますがみなさん平等に悲しまれお花など持って来てくださいます。

昨年の秋から体調を崩していて一時はお医者さんに「今日死んじゃってもおかしくない」と警告が出たときもありましたが、なんとか持ちこたえ病名や対処が判明して以降は薬を飲むことで症状を抑えていました。具合が急に悪くなってからは2、3日で自分では歩けないところまで来てしまいほぼ寝たきり状態の一日を過ごしてひっそりと息を引き取りました。

この一年通院などもろもろの介護をしていた僕に家族が「“僕自身”が納得できる終わり方ができればいい」と言ってくれて大分救われました。悲しくて数日は泣いてましたが今はもう大丈夫です。以前何かでペットが死に時間が経ち、悲しいけど涙は出ないという心理に対し、それは外側にあったペットの死が自分の中で息づいた証拠だと読んだことがあります。

最後に


「命を飼う」というのは最後はこういうことになるのだと嫌でも理解しないといけないのですが一緒に暮らした時間というのは何にも代え難いものです。向こうも9年余り幸せに暮らしてくれてたならいいなと切に願います。

お米屋という家柄、ネズミの天敵である猫とは切っても切り離せないところがあるのでもしまた新しい子が来ても(全く予定はないけど)「先代は優秀な猫だった」と伝えていこうと思います。

関口竜太

東京都出身。ギタリスト、音楽ライター。 ​14歳でギターを始め、高校卒業と同時にプロ・ギタリスト山口和也氏に師事。 ブログ「イメージは燃える朝焼け」、YouTube「せっちんミュージック」、プログレッシヴ・ロック・プロジェクト「Mind Over Matter」を展開中。2021年から『EURO-ROCK PRESS』にてライター業、書籍『PROG MUSIC Disc Guide』にも執筆にて参加。

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