好きという言葉の魔力
おはようございます、関口です。
今朝はピロリ菌についてブログを書こうと思ってましたが下調べをした段階でなかなか難しい話だったのでやめました。
このブログは、僕が日頃の音楽活動を綴ったり、大好きなプログレッシブ・ロック/メタルについて語ったり、普段考えていることをまとめたりなどしてるわけですが、なにはともあれ自分が好きなことを書いていこうと思っています。
言葉の歴史と言霊
言霊というのがあります。調べると「言葉に内包する霊力」と出てきます。なんだよ今日の関口はオカルトか?と思われるかもしれませんがそうではないのです。
言葉は意思を伝えるために編み出された人類の叡智であり文化であり非常に長い歴史を持つコミュニケーションツールです。世界70億人、今日もいろんなパターンによるコミュニケーションが言葉によって交わされますが、人から発せられた言葉にはその人の主観や感情、ついては思惑までもが相乗され聞く人の耳に届きます。
「嫌い」という言葉を発する以上、その意味をきちんと理解し意思を明確にして相手に伝える責任が生まれます。もっとざっくり言えば人の口から発せられる空気の振動でそれを受け取った人の感情が揺さぶられるということです。
せっかく言うなら好きを
嫌いという意思表示は人として、また動物として当たり前です。自分の体に合わないものを拒否できなければ冗談や大げさではなく死んでしまいます。当然の防衛手段です。ただ軽はずみに口にするのは言葉としての重みがなくなります。狼少年の話がわかりやすいですね。
その逆、好きというのはどんなに言っても薄まる比率は少なく感じます。少なくとも好きだと主張することがマイナスに作用することはほとんどないのです。
徐々に薄まる感情は行動によって濃くできる
人生で一発目、特濃で発せられた「好き」「嫌い」という主観と感情を伴う言葉はその後二度三度と発するたびに徐々に薄まっていきます。これを抑制するのが「行動を起こす」ということです。
ギターのことをなにも知らない人がギターを好きとは言ったりしません。弾けなくても毎日ネットから画像を眺めるとか、好きなギタリストのライブ映像を繰り返し見るなどしてその好きが薄まる速度を抑えることができます。それどころか実際手に取ってみたら想像以上の感激で最初の好きを上回ることさえあります。
嫌いでは行動をしない
「嫌い」の場合ですが、これは極力行動を起こさない方がいいです。言葉の綾となってしまい難しいのですが、「嫌いという感情を増長させるための行動」は慎んだ方がいいという意味です。嫌いな感情を増長させても一日穏やかでは過ごせず、関係ない人を傷つけ、大切にしているものを形あるなしに失います。いいことはありません。
嫌いなものに直面した時は逃げることです。とにかく逃げましょう。どのみち逃げきれないとしてもまずその場からは離れましょう。
最後に
このブログを毎日更新して1ヶ月以上経ちますが好きなことから一日をスタートさせるのがエネルギーになっています。ただそろそろ作曲家としての創作意欲がふつふつと湧いてきたのでそちらも再開します。これも曲が形に残る「好き」が原動力だからです。